モロッコの中のユダヤ教、モロッコを案内して再発見。

カサブランカのユダヤ教博物館

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あれは、2018年の春でしたか。子供の頃からつき合っている地元の友人が私のモロッコの片田舎の家に遊びに来てくれました。ヨーロッパで手工芸の調査をしていた彼女が日本に戻り、調査結果をもとに書く予定の論文がなかなか思うように進まず、ちょっと行き詰まりを感じていたとき、「エイやっ!」とマラケシュ行きのチケットを買って飛んできてくれました。

結局、モロッコには3週間ほど滞在、私の家に10日ほど泊まっていき、そのときに、普段はなかなか行くことのないモロッコの北部の町(モロッコ刺繍は、テトアン、シャウエンなど北部の方が歴史があるので、北部をメインで案内したのです。)を旅して、久々の女同士の旅を満喫したのです。

帰国後、彼女が大学教授であるお父様にモロッコの話を色々したのですが、それを聞いたお父様、今度はぜひ自分がモロッコに!と興味をもたれ、今年の2月に遠路はるばるモロッコまで来てくれました。御年78歳。驚くほど健脚で、モロッコ料理もばくばくと食され、こちらが驚くほどのエネルギーの持ち主!モロッコでは60歳をすぎるとすっかりおじいさんになる人が多いので、日本のシニアのアクティブさにこちらが大いに刺激をうけました。

モロッコの村のユダヤ教徒ファミリー
モロッコの村のユダヤ教徒ファミリー

このお父様、ご両親がキリスト教徒ありご自身も洗礼を受け、牧師でもあり大学で宗教学を教えていらっしゃいます。経典の民といわれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教については特にお詳しく、自分一人では行くことのなかったユダヤ教徒がお祈りをするシナゴーグや、ユダヤ教博物館、ユダヤ人墓地などを訪問。モロッコとユダヤ人の切ってもきれない歴史的なつながりを感じました。

まずカサブランカの古くからある落ち着いた住宅街L’oasis(ロアシス)にあるユダヤ教博物館を訪問。昔、この界隈はよく通っていたのですが、まったく博物館の存在はしらず、こんなところに、目から鱗!というぐらいぎっしりユダヤ教関連の展示物があり見ごたえがありました。シナゴーグを体現した空間もあり、 由緒あるシナゴーグから運び込まれたユダヤ経典や燭台をみることができます。

聖典をいれるかばん

モロッコがイスラム化される前には、モロッコでは日本のように自然物を神格化して崇拝するアミニズムとユダヤ教が混同していた、といわれています。ですから、だんなの田舎にもベルベル人のイスラム教徒とユダヤ教徒が隣り合って生活していました。お互いに信じる宗教は違うけれどもお互いにベルベル人、共通語はベルベル語、一緒にスークに出かけたり農作業をしたり。そんな彼らは1970年ー80年にはイスラエルのキャンペーンに乗り、多くがイスラエルに移住していきました。しかし、彼らは今でも祖先の墓参りやユダヤ教の聖地を参りにモロッコに戻ってきます。

田舎だけでなく、都会のマラケシュ、フェズには昔からユダヤ人街があり、そこには今でもいくつかのシナゴーグが稼動しています。そして、もちろんユダヤ教徒墓地も各地に。マラケシュでは、イスラム教徒のおじさんがユダヤ教徒墓地の番人として墓を守っています・・・。仲良くしていたご近所さんがユダヤ教徒だった、なんていうのが日常だった社会ですから、わけ隔てなく共存してきたのでしょう。

モロッコ中部の町のユダヤ人墓地
モロッコ中部の町のユダヤ人墓地

日本からのゲストと一緒にユダヤ教関連施設を訪問し、またモロッコ社会の寛容性を実感。ほんとうに何人も受け入れるモロッコ社会の懐の広さは、まるでアトラス山脈の広大さみたいだな、と感じた次第。

こちらの博物館はもともとは孤児院として裕福なユダヤ人女性が建てたもの。その後、ユダヤ人の子弟が学ぶ学校となり、今は博物館として運営されています。カサブランカのL’oasisの駅からタクシーで。

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