マラケシュから列車で4時間、高速道路で4時間のモロッコ首都RABAT。
お役所用事で寄ることはあっても、なかなか観光をする時間を取れなかったので、今回はうん十年ぶりにRABAT旧市街観光決行!
この日は、ラバトの大西洋側の海は荒れ狂ってました。
波の打ち寄せる音が、地鳴りか!?と思わせるほど。自然の力を嫌でも感じます。
でも、お空に浮かぶ雲はなんともかわいらしい。
さて、灯台の向こう側には、Salé とよばれる町があるのですが(ラバトの正式名称はRabat-Salé)、なんと、この町を拠点として、モロッコ海賊たちがヨーロッパ北方(北はイギリス当たりまで)に略奪の旅に出ていました。
この町で一番有名なのが、もとキリスト教徒、のちに改宗しイスラム教徒となり、当時(17世紀ごろ)のヨーロッパ人に恐れられたオランダ人提督Jan Janszoon(ヤン ヤンセン)アラビア語名ムラード・ライス。
彼は、もともとオランダ海軍で活躍しスペイン船などを襲っていたところ、当時猛威を振るっていた北アフリカの海賊にとらえられ、アルジェリアで捕虜となります。
オランダ海軍の低待遇に満足していなかった彼は、改宗し、海賊活動が盛んだったモロッコのSalé へ。
当時モロッコを治めていたスルタンからも、ある程度独立した活動を許されたSalé は、一種の独立国のような地位を確立し、ヤンヤンセンの強力なリーダーシップのもと、幾度となくヨーロッパへ船を進ませ、一世を風靡しました。
この間、オランダ人の親族がオランダ近くを襲いに来たヤンセンに、海賊業から足を洗い、国に戻るように幾度となく説得を試みたそうですが、聞く耳を持たず。
…どころかそのたびに、海賊の仲間にするためオランダ人を何人も連れ帰ったそう。
出典 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Mola_Pirata.jpg#/media/File:Mola_Pirata.jpg
そんなこんなでSalé の町は、悪名高いというか、独立心の旺盛な人々と捉えられています。そして今でも、ラバトの人の会話の中には、あの人はSale人だよ、とかSaleはラバトとは違う、といった感じの発言があります。
わたしは初めて訪れた2000年ごろのSalé はスラムのような雑踏が残る、ちょっと怖いとこという印象だったのが、時は2016年。
マリーナという商業施設か集合住宅か?がいかにもモダン風に建てられすっかり、昔の面影を失くしておりました…。
OuidayaKasbah。ベルベル人が建てた要塞内には、フランス人が作った庭があり、カスバ内には今でも人々が生活する。
この険しく切り立った岩と、高波。海賊のイメージにぴったりですが、今では人気の釣りスポット!?
(何も釣れてませんでした、荒れすぎでしょ)