小麦がたわわに実り、田舎で週末を過ごし思う事…

田舎ではほとんど地元のものでテーブルが埋まります

田舎ではほとんど地元のものでテーブルが埋まります

今住んでいるマラケシュ郊外の町から、山の中へ30分車を走らせるとベルベルの村が散在しています。(ベルベルというのはローマ人かギリシア人が、意味の分からない言葉を喋る人々という意味で名づけたが、ベルベル人は自らのことをAmanzigh=自由の民といいます)

その中の一つの集落に、モロッコ引っ越しをした初めの4か月間、お世話になっていた旦那の実家があります。当時住んでいた100年以上前の石造りの家は、お義父さんが去年亡くなり、もぬけの殻。同居していた義兄夫婦は、集落の中心にある代々のハヌート(万事屋さん)を改築し、そこに居を映しました。

モロッコ石造りの家

ここがもぬけの殻の実家

義兄夫婦が引っ越したので、その隣に住んでいた叔父夫婦(60代)も、義兄夫婦の隣に居を移し、この石造りの歴史感じる家、2軒は、朽ち果てるのを待つだけの状態…。

そんな中、人工3万人程度の町に引っ越した私たち夫婦は、なるべくこの古い家に遊びに行こう、手入れをしよう、と話していたのですが、日々の生活にまみれてなかなか行けず…。

ちょうど若い日本人の知り合いがモロッコに遊びに来ていたので、彼女たちを案内がてら週末に行ってきました。

時期は、まさに小麦の収穫時期。先月行ったときには、新緑がきれいだったのが、今はカサカサと乾燥した稲穂です。若い子が、それを見て「実るほど首を垂れる稲穂」ですねえ、と言ったのが、とても新鮮。

小麦畑を走る子供たち

小麦畑を走る子供たち

そんな中、隣に住む叔父夫婦の叔父さんからラバを借り、山を散策し、手作りオリーブオイル、牛の乳で作ったバターと手作りパンを食べ、アーモンドの実を樹からもぎ取り、田舎を満喫しました。

しかし、この集落、高齢化が進んでいて、ここで育った男の子たちは、ほとんどマラケシュや近くの町に働きに出ていき、そこで家族を作り、長期休暇のときしか帰省しないのがほとんど。女の子たちは、やはり町の生活に憧れる子が多いのと、親としても物質的に豊かな生活を送れる町に嫁へやるほうがいいという考えが多いのでしょう、ほとんどが結婚した後は、マラケシュなどの町で住んでいます。

アーモンドの実

アーモンドの実、これはまだ若いですがこのままバリバリ地元の人は食べたりします。

私たちは1か月に1度は帰るという感じで、これまではひたすら自分のリラックスのために帰る、というスタンスだったのが、実は若手として田舎の仕事を期待されている部分もあるのだなあ、と最近気づきました…。

というのも、隣の叔父夫婦のおじさんの体調があまり優れず、馬やラバと共に生きてきたおじさんですが、最近は乗ることもできない状態。そこで、旦那がラバに子供やらを乗せて日ごろの運動不足を解消していたら、石造りの本家の近くで草刈りをして、家畜のえさをとるのを手伝ってほしいと言われ、一緒にやってみると、これが重労働。

水を含んだ草は、意外にずっしり重く、身体の悪いおじさんの代わりにやってきた小柄なおばさんはこれを縄一本でまとめ上げ、肩から担ぎます。ずっしり重いそれをひょい、と担ぐ、そのスムーズな身のこなし方。

おばさん、すごすぎです。

朝から自宅の草むしりをし、昼はパンを捏ね、料理をし、家畜に餌をやり、家畜小屋をきれいにし、夕方からは本家まで遠出して草むしり。これも永遠に食べ続けるかのように思えるラバのため…。

モロッコのラバ

ラバは忍耐強く、馬より丈夫なのでモロッコの山間部では重宝されていますが、すごい食欲。

去年から旦那の実家ではそれまでいた牛、羊などの家畜を飼うのをやめ、鶏だけを飼っているのですが、実際に1日手伝っただけで、その重労働さから解放されたい、と思ったお義母さんの気持ちが分かりました。ここの田舎はそれでも、もっと山奥に住む人々の生活に比べると豊かな方です。

アトラス山の山奥に生きる人々の生活はこれよりも過酷なものでしょう。

自然と共存する生き方に憧れた私ですが、自分でこの生活を送れるか?と思うと、やっぱり躊躇してします。ベルベル人の辛抱強さ、忍耐力の強さには脱帽です。

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