azzemour-2この地から大西洋を横断しフロリダに行ったモロッコ人の話し

azzemourの滞在先ホテルの部屋の窓からは、直訳すれば春の川という意味の大河「l’oum Rabbia」が見渡せる。部屋からは、日曜だったせいか、カサブランカあたりから車で川岸にピクニックにきている人々、渡し船の行きかう様子などが見え、ボーと眺めていると、それだけで数時間過ごせそう・・・。

azzemourの街歩き

azzemourの街歩き

ですが、ここは街歩きもせねば、もったいない!ということで、ホテルをでて旧市街を歩いていると、こんな壁画に遭遇。

Estevanicoまたの名をMustafa Zemmouriの壁画

Estevanicoまたの名をMustafa Zemmouriの壁画

取り壊しが行われた空き地の壁面いっぱいに、浅黒い肌の男が船に立つ。なにやらアルファベットで名前らしきものと西暦が・・・。Azzemourに行く前に予備知識としてwikiを読んでいたので、これは例の探検家と一緒に新大陸発見をすることになったモロッコ人だわ!、と一人16世紀を回顧し、しばし妄想。

この人、名前が複数あるのですが、ヨーロッパ人からはEstevanicoと呼ばれており(アラビア語ではMustafa Zemmouri、Azzemour出身のムスタファという意味)、1513年から約30年間ポルトガルの支配下にあったAzzemourの生まれ。

16世紀、新大陸発見に奔走していたスペイン人の探検家について大西洋を渡り、フロリダまでたどり着いた。もともとは、奴隷としてヨーロッパ人に売られ、通訳として海を渡ったが、かなり有能というか、スペイン人探検家の陰でかなり活躍したらしく、いろいろな探検記に記述があるようです。最期はアメリカの原住民に殺された、という説が有力。

こんな小さな町から、新大陸に渡った人物がいたとは。

Azzemourは小さいながらも、なにか今まで旅行したことのあるモロッコのほかの町とはちがう個性があるように見える。それは、このL’oum Errabiaがある景色のためかもしれない。この大河にかかる3本の橋(1つはフランス保護領時代のもの)、雲が川面に写る様子は、もはやモロッコのイメージを超え、イタリアのベニスかどこかの幻想の国か、とさえ思ってしまう。

朝霧のL'oum errabia

朝霧のL’oum errabia

刺繍を研究している友人と一緒だったので、ホテルのスタッフに頼んでAzzemour刺繍をしているお宅に案内してもらうと、そこはまさにAndalousiaの世界。大きなパティオを囲むように部屋が設置され、パティオには木々が茂り、まさに本物のリアド。

昔、ヨーロッパとの交易で繁栄し、ベネチアなどとも商いの関係があったこの町の刺繍には、モロッコ刺繍では珍しく動物のモチーフ(孔雀や馬、伝説上の動物キメラまで!!)が用いられている。特に、訪れたお宅の女性たちの作品すべてには、ドラゴンのモチーフが。ジュラバの首元にもドラゴンが何頭も縫いついているのには、ええ!そこまでドラゴン好きなんだ!と驚く。

azzemourに着物をきたようなキティちゃんがきれいに落書きされていた

azzemourに着物をきたようなキティちゃんがきれいに落書きされていた

ドラゴンモチーフはもともと中国からシルクロードを通ってイタリア、スペインなどのヨーロッパに渡り、ヨーロッパ経由でAzzemourに持ち込まれた、と考えられる。15世紀末スペインのユダヤ教徒追放令で相当数のユダヤ人がAzzemourにも亡命してきた。動物モチーフの刺繍はユダヤ人女性の刺繍にもみられるため、その影響か、という説もある。

本の刺繍はAzzemour刺繍、下の実際の布は去年イタリアのウンブリア地方で購入した刺繍。似ている。

Azzemourのドラゴン好きはジュラバだけでは終わらなかった…メディナの住民の憩いの場となっている広場にもドラゴンモチーフですよ!

Azzemourの人が大好きなドラゴンモチーフ(広場の地面の写真…)

Azzemourの人が大好きなドラゴンモチーフ(広場の地面の写真…)

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