モロッコに生きる大変さと日本の大変さの質の違いは何ぞや?

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外国で生活していたモロッコ人が祖国モロッコに戻ると、一度は発する、「モロッコは大変だ~」。
留学生時代、英語オンリーの勉強は大変でしたが、モロッコ社会が大変だとはまあ、個人の実感をもっては分からず。
もちろん、スラム街に生きる人を目の当たりにしたり、貧富の差を見て心が苦しかった体験はありましたが、その大変さを自らの生活で実感することはあまりなかったのです。

が、子連れでモロッコ人の嫁として暮らしてみて、しみじみ感じるモロッコ生活の大変さ。
モロッコ人庶民の逞しさと強さに、感服することたびたびでございます。
そしてある日、職場の人間が言ったこの言葉。
「日本国民の価値は高い、が、モロッコ国民の価値はこの国にとって”0”(ゼロ)なんだよ。」
衝撃的なこのセリフ、おーい、そこまで自虐的にならなくてもいいのじゃないですか?
言いすぎじゃない?と言ってみたものの、彼はかたくなに、私たちモロッコ人の価値は政府にとっては”0”なのだ、
と断言。


この会話の前に、日本では子供手当てがあるし、なんとか手当がきちんと機能しているんだよね、
国が子供は国全体の資産と捉えていて、少子化の今、政府からはいろいろお金がでる、
でもここモロッコでは国からのお金はまったく期待できないねえ、逆に出さないといけない立場だね、と話していたのです。

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ブログ内容と関係のない揚げドーナツ

価値がないと認識されてるから、自ら叫んで要求してやっとある程度の権利が得られる。
黙っていて何も求めないと、ここでは何の権利なんてもらえないんだよ、と。

ふーむ、そう考えると、なんだかモロッコ人の行動が理解できるような。
なぜ黙って並んで順番を待てないのか、俺だけ優先的に先に見てくれ、と言い出すのか、とか(冗談)
国になにも期待できない、国なんて俺らのこと考えてない、となれば、必然的に自分だけを信じ、自分の家族だけを守るために生きる。子供には無理をさせても、いい学校、社会的地位に高い職業に就かせたい、とガリベン勉強に走る。


基本、病気になったらおしまいと思ってる、モロッコの病院を信じていない。
(の割にはあまり健康に良くない生活を送ってらっしゃるようですが…)
ハングリー精神旺盛な人はあまり見かけないが、将来考えず1日1日を必死に生きる
だけ的な人も多い。
頼りにできるのは結局は家族、親族だけだから、多少我慢してでも、金銭的に問題があっても、何

かあった時に助けてくれるのは家族(親族)だから、関係は続ける。
脱線しますが、こちらの子供を持つ家庭の教育熱(都会)はすごいものがあります。子供に勉強を教えるために(私立のハードな学校に入れているせいもあるでしょうが)母親が15年以上続けてきた仕事を辞めるとか。
家庭教師をつけるとか、授業のあとに簡易塾みたいなところに入れたりはよくある話しです。

それに比べて、日本は国を頼って将来を設計したり、年金がもらえなくなるわけがないと妄信的に信じている人が普通にいる。国が保証してくれるだろう将来の安定のために、いやな仕事を我慢して続けたり、辛い人間関係をだましだまし続けたり。

政府には、国民、特に子供、に対し将来の国を支える人材だから、それらに投資をしようという
スタンスがあるし、一生けん命働いて納税してきた人が何かのきっかけ(病気、ケガなど)で働けなくなったときの保障などもある。
まあ、空気を読まなければいけない、とかKYとか言われる類の社会の生きづらさは、
別のところにある気がするが(もっと文化的な何か?が関与している?)。
どうも国に対する考え方、また国がどう国民を捉えているか、が大きく違うから、生活の大変さの質が違うのかもなあ、と思った昼下がりでした。

追記:中国人も国を全く信用していない、そして中国人のタフさ、ハングリーさは、時に脱帽もの。
信じられるのは自分だけ
(モロッコ人の場合は神様も?)と思った人間は強いのか。

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