モロッコ生活ステップバイステップ 回顧碌!

scenerymoutain.jpg
(日本で忙しく働いていて、こういう景色をみると、田舎ってステキと思うものです…)
今回はモロッコに引っ越してから、まずどういう生活を送り、どこに落ち着いたかをまとめてみようと思います。
モロッコに飛行してから、最初の数か月は実家に住まいました。
山の中にある石造りの家はオリーブ畑に囲まれていて、周りはすべて親戚という環境。
ストローベールハウスに興味があった当時の私は、今後起きる田舎plus実家生活の大変さを一抹も心配せず、喜々としてそこでの生活をスタートしたのです。
時期は春。
9月から学校をスタートさせようと考えた私たちは、同居するのが子供の言語習得に良いとも考えました。
今までずっと離れていた旦那方の両親と住めば、親孝行にもなるとも思ったわたし。
そうは問屋は卸さない、ですね。
まず、義理の父は、毎年の一時帰国のときに数日一緒に過ごしただけでは、まったく分からなかったのですが、けっこう保守的な方でした。


女性(特に若い人)は極力家にいるべきだ、買い物は男性の仕事、女性が散歩なんてなぜする?という感じで、わたしは監視されてるという錯覚を覚えるように。
また自分の実の両親(日本にいる)は孫と喜んで遊んでくれ、外食に連れて行ってくれたり勉強をみたりしてくれるのですが、ここモロッコでは、祖父母にそんなことは期待できない、という事もわかりました
適切に言うと、期待できない、というよりは、それは親(特に母親)の仕事であり、お門違いということ。
義理の母に関しては、家畜の世話、家畜のえさ集め、薪集め、と近くの敷地にはいるのですが、
農作業や親戚や近所付き合いなどで忙しい。


田舎生活、手がすくなんてないんだなあ、とずっと町暮らしの私には正直、驚きでした。
で、彼女のアラビア語は私のレベルより下手すりゃ下手というかんじで、
学校に通ったことがないので、字が書けません。

countryside_shep.jpg
この写真の奥のほうで、緑のある時期には、義母が羊のえさを集めます。
義母の第一言語はベルベル語で、わたしの子供にアラビア語を教えるなんて逆立ちしても無理という事がわかり結局、私たちは、徒歩15分ぐらいの親戚の女性の家に子供を通わせ、アラビア語のイロハを学ばせました。
そこにはちょうど子供と同年齢の息子さんもいたので、同時に友達もできたのは、10才のこどもにとって
死活問題でというほど重要で、そこから息子の世界が作られて行った感じがします。
私は、というと、村をぶらぶら歩くこともままならず、幼稚園生になる下の子を通わす読み書き学校も当時
はなく、幼児とほとんど家にいるように。で、実家にいた旦那の長男のお嫁さんが家事を一手に引き受け
ているので、彼女のアシスタントと化し、料理を見よう見まねで覚えたり、できる家事を手伝う日々。
ですが、常にアシスタントの立場。


それまで自分が主体で生活を切り盛りしてきたのに、一気に人に頼るアシスタントとなった私は主体性を
発揮できない環境、行動が規制される環境に、自分がじぶんでなくなる感覚を覚え、急に自分自身がなにも
できない存在と思うようになり、知らず知らずに落ち込んでいきました。
きっかけとなった大事件はラマダン月のある日に起こりました。
3,4日間高熱が続いて下がらず、日中だれも料理をつくらないのに遠慮して、水も飲まなったためか、
症状は悪化、ほっぺが異様に膨れて、別人のような顔に。
それがおたふく風邪だったのかもしれない、と後で思いましたが、そんなときに、病院に行くか?
と言われても、家から町に行くグランドタクシー乗り場までの道のりも遠く、コンディションも悪く、
がたがた揺れるものに身を預ける気になりません。
もちろん、山の中の家には救急車はきません・・・。
病気になって心底思いました。もし子供が病気になったらどうしよう、ここにはやっぱり住めない、と。
で、脱出大作戦(言葉が悪いですね、同居させてもらいながら)もとい、新生活を求めます。

townmosque.jpg
マラケシュで住まいを探しもしたのですが、山の静かな環境に慣れすぎていたせいか、マラケシュがどうしても騒々しいと感じてしまい、結局、いまの3万人規模の地方の町に落ち着きました。
そこからが、モロッコでのほんとの生活のはじまり。


1日2往復の学校の送り迎え、3食を手作り、砂が舞い込み油断するとすぐにざらざらになる床掃除。
田舎住まいなので、子供の衣類の泥よごれがひどく、手洗い必須の洗濯、と体力勝負の家事労働。
そこにつけて、モロッコ主婦はパンをこねたりしますから、モロッコ人の主婦はすごい、いったいどうやってるんだ!
と感嘆したもんです。
(しかし、これには裏がありました。
<オフレコ>でなきゃ、モロッコ人主婦があんなに太るわけないのです<オフレコ>。
リアリティーは、モロッコの人は一般的に大家族で住み、結婚しても実家で両親と同居、嫁にいっていない年頃の娘がいたり、兄弟が多く長男が18歳、3男が5歳なんてこともふつう。結論としては、家で手が空いている人材がほとんどの場合いるのです。
で、家事は2,3人でシェアー。男性なら、子供の送り迎えが担当になったりします。)
でも、その生活もやはり専業主婦が性に合わないのか、続かず、結局、仕事を始めます。
そこから新しい世界が広がりました。


いままで知り合うことのない家族以外のモロッコ人との付き合い、日本人、モロッコに生きる
外国人との出会い。その一つ一つが、いろいろ考えさせられるもので、どの人も面白く、驚くほどタフで、
ここモロッコでたくましく生きていらっしゃる。
人との出会いが自分の背中を知らず知らずに押してくれたおかげで、何度も撃沈しつつも、なんとかここまでやってこれたとつくづく思います。
人との出会いが人生を豊かにする、いろいろ苦労が多い海外ではより強く実感するものです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする